☆★☆ぽんつかのF1名(迷)車列伝☆★☆

☆ぽんつかのF1(をはじめとする)ミニカーコレクションの紹介☆

ぽんつかの『F1名(迷)車列伝』・7

◆1996 ウィリアムズ・ルノーFW18

1996年のチャンピオンマシン。
1992年にN.マンセルが、93年にはA.プロストがドライバー王座に輝き、
コンストラクター王座は92、93、94年と三連覇したウィリアムズ。
90年代前半はウィリアムズ時代と言って良い。
しかし1994年、ウィリアムズはレース中の悲劇的な死亡事故により、
この年からステアリングを握ったカリスマ王者A.セナを序盤で失う。
セナに代わって突如ウィリアムズのエースとして走らねばならなくなったのが、
それまでNo.2ドライバーだったデイモン・ヒルだ。

91、92年とウィリアムズのテストドライバーだったヒルは、
93年にプロストのチームメイトとしてウィリアムズの正ドライバーに昇格。
62、68年のF1王者グラハム・ヒルの息子で、23歳までは二輪で走っており
その後四輪に転向した遅咲きのドライバー。
92年はウィリアムズのテストドライバーを務める傍ら、
資金難で困窮していたかつての名門ブラバムからF1デビューしていた。
その後93年には3勝、94年は6勝、95年には4勝をあげ、
遅咲きながら選手権の主役となっていく。
しかし最も王座に近付いた94年は、最終戦でライバルであるM.シューマッハ
撃墜(ポイントリーダーのシューマッハヒルに幅寄せし接触、両者リタイヤ)され
王座を逃し、95年はライバルのベネトンも同じルノーエンジンを
獲得したためチーム間の戦力は拮抗。
おまけにチーム初のハイノーズマシンFW17の信頼性が上がらず、
チームの戦略ミスもありこれも王座に届かず。
シューマッハベネトンの盤石なレースぶりに対し、
脆さを感じさせるデイモンと、ピット作業や戦略ミスが目立つウィリアムズ。
控えめでエゴを主張しない生来の人柄も相まってこの頃のデイモンは、
王座を争うキャラクターとしてはいささか不甲斐ない印象を濃くしていた。

しかし迎えた96年のウィリアムズとヒルは本来の強さを発揮する。
熟成の進んだFW18とルノーV10は、全16戦12勝と大暴れ。
チームメイトとなった、前年のCART王者にして
F1ドライバー、ジル・ビルヌーブの息子、ジャック・ビルヌーブ
タイトルを争い、シーズン8勝をあげたヒルが悲願のタイトルを獲得する。
世界王者の息子であることから当初は「七光り」と揶揄され、
ヒルの速さはマシンのおかげ」と叩かれながらも、直向きに走り掴んだ王座。
94年以降王座を争ったシューマッハからは「アマチュア」呼ばわりされ、
ヒルなんてライバルとしてリスペクトしない」とまで言い放たれたが、
「公衆の面前でここまで侮辱され、なぜ反駁しないのか?」との問いには
「自分のスタイルではないからだ」と答える「ジェントルマン」だった。
そして96年、デイモンはついに自身の力でシューマッハを破り、
キャリア最初で最後の世界王者となるのだった。
王座を獲得した日本GPで、レース後にポディウム前でジョージー夫人と抱擁を
交わしたシーンはとても印象的だった。

マシンはパトリック・ヘッドと「空力の鬼才」A.ニューウェイの作。
94年からチームをスポンサードした、英国のタバコメーカー「Rothmans」
のカラーリングが美しい一台。

◇ウィリアムズ FW18
 デザイナー:パトリック・ヘッド
       エイドリアン・ニューウェイ
 エンジン:ルノーRS8/RS8B 3.0L V10(フランス) 
 タイヤ:グッドイヤーアメリカ) 
 燃料:エルフ(イフランス 
 ミッション:ウィリアムズ製 6速セミオートマ 
 ドライバー 5:デイモン・ヒル(イギリス)
       6:ジャック・ヴィルヌーヴ(カナダ)

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