☆★☆ぽんつかのF1名(迷)車列伝☆★☆

☆ぽんつかのF1(をはじめとする)ミニカーコレクションの紹介☆

ぽんつかの『F1名(迷)車列伝』・9

◆1991 ベネトン・フォード B191

今回ご紹介するのは、1991年のベネトンチームのマシンだ。
ベネトンというアパレルブランド、みなさんご存じだろうか?
まぁ今も世界展開しているので、ショップくらいは見かけたことがあるだろうか。
イタリアのファッションブランドがF1参入を開始したのは1983年、
ティレルチームをスポンサードしたのが始まりである。
その後85年には新興チーム、トールマンをスポンサード。
翌86年にトールマンを買収し、ベネトン・フォーミュラが誕生する。
ベネトンはその後、フォードエンジンとワークス契約を結び、
当時F1界に君臨していたマクラーレン、ウィリアムズ、フェラーリ
戦いを挑み、前述3チームを含め「4強」の一角としての地位を確率してゆく。

で、このB191という車、まだまだベネトンが野望の途中にあった時代のマシンだ。
ドライブしたのはネルソン・ピケ。当時御年39歳の大ベテランで、
81、83、87年と3度の世界王者に輝いた「走る必殺仕事人」だ。
ブラジル、リオ出身のピケは私が大好きなドライバーのひとり。
好きなF1ドライバーを5人挙げろと、いや3人挙げろと言われても
ランクインするであろうドライバーだ。
3度の世界王者の私生活は奔放そのもので、定住する家を持たず、
モナコのヨットハーバーに停泊した自前のクルーザーで生活。
世界各国に4人の妻と、認知されている7人の子種がおり(うち2人はレーサーとなる)、
「マンセルの奥方はブサイク」、「運転以外に好きなことはS○X」など
奔放な言動であちこちで物議をかもしたりもした。
だが、走りは華麗かつ繊細で、リスクマネジメントを徹底し、
王者になるために如何に行動すべきかを常に意識していたドライバーだった。

87年にウィリアムズで3度目の王座を獲得したピケは、
翌88年に名門ロータスへ移籍する。しかしロータスでピケは2年間苦杯を舐めた。
88年はシャシーの出来が悪く、さらに翌89年にはホンダエンジンを失った。
すっかりモチベーションを失ったピケだったが、翌90年に心機一転ベネトンと契約。
1ポイント獲得ごとに10万ドルという出来高契約でやる気を取り戻したピケは、
90年シーズンの第15、16戦と2連勝をはたし、ベネトンをランキング3位へ導いた。
チームは翌91年、第3戦からB191を投入。「天才」ジョン・バーナード作のマシンは、
今後30年のF1マシンのトレンドとなる「ハイノーズ」と「吊り下げウィング」を採用。
第5戦カナダGPでは最終ラップで先頭を行くウィリアムズのマンセルが
突然ストップするという幸運もあり、2位を走行していたピケが優勝を飾る。
しかしチームは、第11戦でジョーダンチームより衝撃のF1デビューを飾った
後の「皇帝」ミハエル・シューマッハを引き抜き加入させた。
それに伴い、チームメイトのロベルト・モレノを一方的に解雇した。
モレノはピケと同郷で、下位カテゴリ時代から窮地の仲であった。
さらに、途中加入のシューマッハがルーキーらしからぬパフォーマンスを見せ始め、
さらに当時チームマネジメントの実権を握っていたトム・ウォーキンショーが、
シーズン終了を待たずにピケを解雇し、自らとつながりの深いマーティン・ブランドル
の起用を希望していたことを知ると、ピケはチームに対する不信感を募らせ
ついには移籍を決意。91年限りでベネトンを離脱した。
ピケは翌92年に向けてリジェと交渉していたが、契約金額で折り合いがつかず。
結局明確な引退宣言もなく91年を最後にF1を去った。

B191はいくつかの点で、91年のベネトンチームの象徴的なマシンである。
ひとつはフォルム。前年ティレルが登場させた019というマシンに端を発した
「ハイノーズ」を、このクルマも採用。しかし、ティレルが「アンヘドラルウィング」
と呼ばれる、セパレート形状(ノーズの直下にウィングがないスペースがある)
なのに対し、このB191は一枚板のウィングを吊り下げる形状を採用した。
ティレル019は、あの独特のウィング形状のおかげでフロントのダウンフォース量が
小さくなり、のちに中島悟が「フロントが軽い感じがした」と述懐している。
その後のF1界の空力トレンドを見ればわかるように、
ハイノーズマシンのウィング形状のトレンドは「吊り下げ式」になった。
もう一つは、歴史の「はじまり」と「終わり」が同居していた点だ。
80年代の王者ネルソン・ピケは、このシーズンを最後にF1を去った。
そして、90年代後半~2000年代前半まで活躍、7度の世界王座に輝き
「皇帝」の異名をとったミハエル・シューマッハがチームに加入したのだ。
このベネトンでピケの時代、キャリアは終わり、
B191はのちの30年に及ぶF1界の空力トレンドを築き上げ、
チームは95年にコンストラクターズタイトルを獲得するまでになり、
シューマッハは世界王座を7回獲得する。

この時点ではまだ4強時代の末弟に数えられたベネトン
時代はマクラーレンからウィリアムズへの政権交代に注目が集まる中、
F1界の「新陳代謝」は、実はこのベネトンチームで進んでいた。
古い歴史はベネトンで終わりをつげ、新しい歴史は1991年
このベネトンで幕を開けていたのだ。


ベネトン B191
 デザイナー:ジョン・バーナード
       マイク・コフラン
 エンジン:フォード HB-A5 3.5L V8(アメリカ)
 タイヤ:ピレリ(イタリア)
 燃料:モービル(アメリカ)
 ミッション:ベネトン製6速マニュアル
 ドライバー 19:ロベルト・モレノ(ブラジル)
          ミハエル・シューマッハ(ドイツ)
         ※第12戦イタリアGPより参戦
       20:ネルソン・ピケ(ブラジル) 

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