☆★☆ぽんつかのF1名(迷)車列伝☆★☆

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ぽんつかの『F1名(迷)車列伝』・12

◆1993 ウィリアムズ・ルノー FW15C

アラン・プロスト特集・3>

今回は名(迷)車烈伝アラン・プロスト特集のラスト!!

特集の最後はプロストのF1最終年、93年のウィリアムズFW15C。
90年に鳴り物入りフェラーリに移籍したプロスト
この年はチームもマシンも、そして自身も好調で王座獲得一歩手前までいくも、
翌91年は一転して大苦戦を強いられる。開幕前の下馬評は高かったものの
蓋を開けてみればライバルのマクラーレンには歯が立たず、
さらに力をつけてきたウィリアムズにも先行を許し、結果91年は未勝利で終わる。
マシンのコンセプトはすでに時代遅れとなっており、
走っても走っても蚊帳の外(91年フジTVF1総集編より)状態のプロストは、
「今のフェラーリは赤いカミオンだ」と発言し、首脳陣との関係が悪化。
結果91年は最終戦を待たずに解雇されてしまい、翌92年は「休養」にあてる。
しかし、休養中もプロストは翌年を見越して動き、
93年は満を持して当時の最強チーム、ウィリアムズ・ルノーから復帰を果たすのだ。

当時のウィリアムズといえば、「空力の鬼才」エイドリアン・ニューウェイ
設計したエアロマシンに、ホンダから「最強」の座を奪ったルノーV10。
そしてなによりも、アクティブライドをはじめとするハイテクデバイス満載の、
最強マシンを要する文字通り「F1界最強」のチームだった。
当然最強チームにはトップドライバー達がこぞって移籍を目論むわけで、
プロストの他にもセナが「無報酬でも構わないから乗りたい」とアピールしていた。
そして、このプロストとセナのラブコールの割を食った形でマンセルが離脱。
92年、マンセルはウィリアムズで王座を獲得したものの、
チームが、プロストやセナとも交渉をもっていることをマンセルとの交渉のダシ使い、
93年の契約更新について給料の大幅減額を提示した。
これにプライドを傷つけられたマンセルは、ウィリアムズとの契約を更新せず
突如引退会見を行い、93年からの米国CARTへの転向を宣言するのだ。
ちなみに当時No.2ドライバーだったリカルド・パトレーゼも、
チームの方針に嫌気がさしこの年でウィリアムズを離脱している。

かくして当時のF1界最強チームのシートを射止めたのはプロストとなったわけだが、
確実とみられていた4度目の世界王者への道は平坦ではなかった。
序盤から「嫌い」と公言して憚らない雨のレースが続いたり、
ハイテク武装されたFW15Cの扱いには、アナログ世代のプロストはやや手を焼いた。
それでもプロストは結果シーズン7勝をあげ、表彰台には優勝含め12度登壇。
年間100に迫る99ポイントを獲得し、4度目の世界王者に輝いた。
しかし、シーズン前に起きたFISAのライセンス発給拒否騒動や、
シーズンイン後の不可解なペナルティなど、F1を取り巻く
「あらゆることに嫌気がさしてしまった」プロストは、この年限りで引退を決意する。
徐々に牙を剥き始めたチームメイト、デイモン・ヒルの台頭もあり
このあたりで後進に道を譲るべきだと感じたのかもしれない。
プロストは当時のデイモンの成長について
「デイモンの存在が真剣に僕の心を掻きむしるんだ」と語っており、
チームメイトの急激な成長と、自身の王者としての限界を悟っていたフシがある。
ちなみに当のデイモンはというと、同じセッティングで走っていたプロスト
ステアリング操作が極めて少ないことをテレメトリーデータから知り、
プロストの走法を学ぶようになったという。

F1に復帰、F1に優勝、F1でチャンピオン、F1で引退、1年で全てをやり
男のけじめをしめした(93年フジTVF1総集編より)プロスト
出走202戦、優勝51回、総獲得ポイント798.5、PP33回、FL41回、4度の世界王者は
93年を最後に13年(休養期間除く)のキャリアに幕を下ろした。

ドライバーとしての能力は当代最高。
ただ勝利を、そして勝利を確実にする環境の構築を追い求めるが故に
政治的な動きも多く、チーム首脳などとも衝突し軋轢を生むこともしばしばだった。
日本では完全に「ホンダとセナの敵」として「悪役」と見られてしまったプロスト
93年の開幕戦南アフリカでレース前に今宮純氏のインタビューを受けたプロストは、
今宮氏の「日本のファンへメッセージを」の言葉に、「日本に僕のファンなんて
いるのかい?」と言わんばかりの苦笑いを浮かべながら答えていた。
しかしその実、ケケ・ロズベルグジョン・ワトソン、ジル・ヴィルヌーブや
ディデイエ・ピローニ、ジャン・アレジなど、プロストと仲が良かったり、
ドライバーとしてリスペクトする関係者が多いのも事実。
また、同世代にセナという異質なキャラクターの存在があったことで
80~90年代の愛憎渦巻くF1において「セナプロ対決」という
F1史上最大のライバルストーリーを生んだ。
たとえ悪役だろうがなんだろうが、アラン・プロストの名はこの先も
永遠にF1の歴史に残り続けるだろう。
そんな彼の幼少時のあだ名が「おたまじゃくし」だったということを
知る人は少ないだろうが。。。


◇ウィリアムズ FW15C
 デザイナー:パトリック・ヘッド
       エイドリアン・ニューウェイ
 エンジン:ルノーRS5 3.5L V10(日本)
 タイヤ:グッドイヤーアメリカ)
 燃料:エルフ(フランス)
 ミッション:ウィリアムズ製6速セミオートマ
 ドライバー 0:デイモン・ヒル(イギリス)
       2:アラン・プロスト(フランス)


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