☆★☆ぽんつかのF1名(迷)車列伝☆★☆

☆ぽんつかのF1(をはじめとする)ミニカーコレクションの紹介☆

ぽんつかの『F1名(迷)車列伝』・14

◆1997 ベネトンルノー B197

オーストリア出身のゲルハルト・ベルガーは、
90年代を代表するF1ドライバーの1人だ。
1984年にATSよりデビューし、86にベネトンで初勝利。
以降97年までの14年間、マクラーレンフェラーリでも活躍した。
速さもさることながら、プレイボーイで悪戯好き。そんなお茶目なキャラクターも
人気だった。当時の関係者やファンで、ベルガーのことを嫌いだという人間を、
少なくとも私は知らない。フェラーリ時代はティフォシに熱烈な支持を受け、
マクラーレン時代はスーパースター・アイルトン・セナの陰で苦しんだ。
それでも持ち前の明るいキャラクターで、常にパドックの人気者だった。
神経質でクセの強い人柄のセナとも親友と呼べる関係を築いた。
ただ、タイトルを期待される速さを持ちながら、14年のキャリアで彼が
GPであげた勝利は10。タイトルにはついぞ手が届かなかった。

90年代までのF1においてGPで10勝を達成するというのは
それなり以上に偉大な記録であった。しかし、同時にF1に14年間在籍するという
記録もなかなかのもので、翻って14年間F1に在籍したトップドライバーの数字として
考えた時に、10勝といういのはいささか寂しい数字であることは否めない。
しかし、このゲルハルト・ベルガーという男は、信じられないくらいに
印象に残るシチュエーションでの勝利が多い。14年間での10勝は、
他に類を見ないほど濃密な内容の10のレースに彩られている。

今回紹介するのはそんな愛すべき男ベルガーが
キャリアを終えたマシンである。チームメイトは93年のフェラーリ在籍時以来
この年まで5年間ずっとコンビを組み、こちらも親友と認め合うほど
仲良しのジャン・アレジだ。しかし残念ながらベネトン移籍後のアレジには、
目立った活躍がないため今回はベルガーのF1における生涯戦績を語らせていただこう。

それでは、これ以上ない程にドラマチックなエピソードに彩られた、
ベルガーのGP10勝を列挙してみよう。


1勝目・・・86年メキシコGP(ベネトン
自身の初優勝が、所属するベネトンチームのF1初優勝。

2勝目・・・87年日本GP(フェラーリ
この年鈴鹿で初開催の日本GP。日本で本格的にフジTVでの全戦中継が始まった
いわゆる『F1元年』における日本GPで、PPを獲得したうえそれまで低迷していた
所属チームフェラーリにとって2年ぶりとなる勝利。

3勝目・・・87年オーストラリアGP(フェラーリ
フェラーリにとって6年ぶり、自身初となるGP連勝。
ポールポジション、ファステストラップ、優勝、レース中全周回ラップリーダー
という『グランドスラム』達成。

4勝目・・・88年イタリアGP(フェラーリ
結果的に全16戦15勝と、圧倒的な強さでGPを席巻したセナ、プロスト
マクラーレン・ホンダに、フェラーリの地元イタリア・モンツァで唯一土をつける
優勝。またこのレースは、フェラーリ創始者エンツォ・フェラーリ』が
死没したひと月後の開催。フェラーリにとっては『エンツォの弔いレース』だった。

5勝目・・・89年ポルトガルGP(フェラーリ
第2戦サンマリノGPでマシントラブルから時速200kmオーバーで1コーナーを直進、
大クラッシュして炎に包まれる。しかし奇跡的に顔や手の軽いやけどで済んだ
ベルガーは、翌々戦には復帰し第13戦ポルトガルで復活の勝利をあげた。
セミオートマ導入初年度であまりに信頼性の低さから15戦中12度リタイヤを喫したが、
その中で唯一上げた勝利。

6勝目・・・91年日本GP(マクラーレン
最終ラップの最終コーナーで、チームメートのセナに露骨に譲られ、
移籍後約2年を要してのマクラーレン初勝利。セナの王者獲得をサポートしたこと
に対するもので、日本ではセナの美談となったが、チーム内や世界中で
物議論争の対象になる。

7勝目・・・92年カナダGP(マクラーレン
ウィリアムズ・ルノー独走のシーズンで、ウィリアムズ勢やセナを抑え
マクラーレン移籍後初めての『自力優勝』。また自身初の9月以前での優勝。

8勝目・・・92年オーストラリアGP(マクラーレン
ホンダのF1第2期活動最終戦で優勝。第3期の活動が再開され、
2006年にジェンソン・バトンが優勝するまで、ホンダF1最後の優勝だった。

9勝目・・・94年ドイツGP(フェラーリ
90年のスペインGPを最後に、またまた勝利から見放されていたフェラーリに、
3年半ぶりの優勝をもたらす。自身2度目の、低迷するフェラーリを救う『復活V』。
またこの年は大親友であるセナを事故で失い、引退も考えていた中での優勝劇であった。

そしてこの写真のマシンが10勝目をあげたマシン。
96年にフェラーリシューマッハを獲得し、アレジとともに追われるように
ベネトンに移籍したベルガー。しかし、シューマッハと共にロス・ブラウン
ロリー・バーンといった首脳も引き抜かれ、落ち目にあったベネトンで苦戦。
さらにこの年、慢性ちくのう症の治療で3戦を欠場している間に
父親が飛行機事故で他界。悲しみの中で復帰したドイツGPで、
PPスタートからの完全勝利。前年96年、同じくベネトンルノーでトップを快走するも、
43周目(残り3周)にエンジンブローでリタイヤしたリベンジも果たす

まさに『高速サーキットの申し子』ベルガーの真骨頂といえるレースを最後に
現役を引退した。ベルガー最後のウィニングマシン、それがこのB197。
そして、2001年ルノーに買収されてその歴史に幕を閉じる
ベネトンフォーミュラ1』チームにとっても、最後のウィニングマシンである。
全くこのベルガーという男、『Mr.メークドラマ』ですな。

※背景写真に入れた『ベネトンルノー』の文字が『ベネトン・ルモー』に
 なってしまいました。撮り直しも面倒なのでこのまま掲載します。あしからずww

ベネトン B197
 デザイナー:パット・シモンズ
       ニック・ワース
 エンジン:ルノー RS9、RS9A、RS9B 3.0L V10(フランス)
 タイヤ:グッドイヤーアメリカ)
 燃料:アジップ(イタリア)
 ミッション:ベネトン製6速セミオートマ
 ドライバー 7:ジャン・アレジ(フランス)
       8:ゲルハルト・ベルガーオーストリア

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