☆★☆ぽんつかのF1名(迷)車列伝☆★☆

☆ぽんつかのF1(をはじめとする)ミニカーコレクションの紹介☆

ぽんつかの『F1名(迷)車列伝』・22

◆1994 マクラーレンプジョー MP4/9

※この記事は私の大いなる私感と偏見によって書かれており、ミハエル・シューマッハ
 に対する批判が含まれています。シューマッハファンの方はご注意ください。

私は大の『ハッキネンファン』である。
歴代のF1ドライバーで、好きなドライバー5人を挙げろと言われたら、
いや3人と言われても絶対に入る。 それくらい好きだった。
ちなみにあと4人を挙げると、アラン・プロストネルソン・ピケ
デーモン・ヒル、そしてティエリー・ブーツェンだ(統一性なし)。
ミカ・ハッキネンは、90年のF3マカオGPを観てファンになった。
当時、土曜(確か)の深夜に放送していた自動車情報番組『Motor Land 2』で、
レースのダイジェストを見た記憶がある。

彼は英国F3で無敵といって良い速さだった。
フィンランド人というところも惹かれた。次代のF1を担う有望株として
注目していた。だからマカオでも応援していた。しかし、
そんなハッキネンを撃墜し、のうのうとそのレースを優勝したのが
ミハエル・シューマッハだった。 シューマッハは最終ラップの長い直線、
自身を追い越しにかかったハッキネンに対し、執拗なブロックを展開。
挙句接触ハッキネンをリタイヤに追い込んだ。
コース中最高速を記録するストレートで、蛇行しての執拗なブロックに、
速度差のあったハッキネンはたまらず追突。ハッキネンだけがリタイヤし、
シューマッハはそのままトップでチェッカーを受けた。
シューマッハのレースというのは、彼のキャリアにおいて一貫して"そう"だった。
 のちのF1において『バトル中の走路変更は1回まで』という、ジグザグ走行を禁ずる
 スポーティングレギュレーションが導入されたが、その元凶はシューマッハである。

私の『ハッキネン好き』と『シューマッハ嫌い』はここから始まった。
同時に二人のライバルストーリーもここから始まった。
次代の『セナ・プロ』といった二人だった。
ハッキネンは1991年に自身のF1キャリアを開始させる。
91、92年を苦境のロータスで過ごしたハッキネンは、
93年いよいよ有力チーム・マクラーレンと契約する。しかし、当時マクラーレンには
アイルトン・セナがいた。セナを手放したくないマクラーレンと、
ホンダを失ってタイトルの見込みがないマクラーレンから出たいセナとの駆け引きは
シーズン終盤まで続き、そのおかげで、先にドライバー契約を結んだはずの
ハッキネンは、第12戦を最後にマイケル・アンドレッティが解雇されるまで、
セナのリザーブに甘んじた。

しかし、フォードHB-V8という非力なエンジンで戦っていたマクラーレン
初めて出走した第13戦ポルトガルで、
ハッキネンはいきなり予選5番手のタイムを叩き出す。
ハッキネンはとんでもなく速かったのだ。
苦境のロータスにあって2年間で7度の入賞を記録した実力を、
ようやく思う存分見せられる環境を得た。ファンや関係者はそう思った。

しかしその後4年間、マクラーレンは不遇の時代を送る。
前回紹介したランボルギーニ搭載計画が、すんでのところでご破算になった94年。
資金提供のない供給契約を嫌ったロン・デニスは、結果ランボを蹴り
プジョーエンジンを選択。当時ツーリングカーで最速だったプジョーに、
デニスは大いに期待していたようだ。しかしこの時のプジョーには、
重要なパーツが欠けていた。『優勝請負人』と言われたチーム監督の
ジャン・トッドが、93年を最後にプジョースポールを離脱していたのだ。
これがデニスの大きな誤算だった。
トッドが去ったプジョースポールは組織力が著しく低下しており、
出来上がったエンジンの信頼性は劇的に低く、毎戦毎戦火を噴きまくり
『ロケット』と揶揄された。

ちなみにJ.トッドはその後、フェラーリの監督となり、
シューマッハと共にフェラーリを常勝軍団に育てあげ、
現在はFIAの会長を務めるという傑物である。

結果マクラーレンは、プジョーとの契約を1年で解消。
その後はメルセデスと契約するも、マクラーレンが再びタイトル争いが
できるようになるまでには、あと4年かかる。
ハッキネンの、マクラーレンでの雌伏の4年間の始まりとなる、
94年のマシンがこれ。欧州のタバコ広告規制はミニカーにも及んでおり、
『Marlboro』のタバコロゴが入ったモデルは稀少である。


マクラーレン MP4/9

 デザイナー:ニール・オートレイ
       アンリ・デュラン
 エンジン:プジョー A4、A6 3.5L V10(フランス)
 タイヤ:グッドイヤーアメリカ)
 燃料:シェル(オランダ)
 ミッション:マクラーレン/TAG製6速セミオートマ
 ドライバー 7:ミカ・ハッキネンフィンランド
         フィリップ・アリオー(フランス)
        ※第10戦のみドライブ
       8:マーティン・ブランドル(イギリス)

 

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