☆★☆ぽんつかのF1名(迷)車列伝☆★☆

☆ぽんつかのF1(をはじめとする)ミニカーコレクションの紹介☆

ぽんつかの『F1名(迷)車列伝』・10

◆1986 マクラーレン・TAG MP4/2C

アラン・プロスト特集・1>

今回の名(迷)車烈伝はアラン・プロスト特集‼️

アラン・プロストは、
私が歴代で最も好きな、最もリスペクトするドライバーだ。
1985年、86年、89年、そして93年と4度の世界王者に輝いたレジェンド。
F1史上唯一のフランス人王者である。
プロストは1980年のF1デビューから1993年の引退までにGP51勝を挙げ、
4度のチャンピオンとなった。これは、マシンの信頼性が低く、
トラブルやアクシデントも多かった90年代までのF1においては驚異的な数字。
特に80年代後半からは、レース展開全体を考慮し安全マージンを取りつつ、
必要に応じてペースを上げ下げするクレバーなレース運びを信条とし、
抜群のセットアップ能力、タイヤにも優しいスタイルから「プロフェッサー」の異名を取った。
デビューイヤーの80年と、所属するフェラーリが絶不調だった91年以外、
F1で走った年は全て勝利を挙げているというのも特筆すべき記録だ。
今回は3回にわたって、プロストがドライブしたマシンを3台紹介する。

特集第1弾は1986年のチャンピオンマシン、MP4/2C。
※バックの台紙が「MP4/3C」になっているが、これは誤り。。。
「TAG」のバッジがついた1.5Lターボエンジンはポルシェが供給。
当時としては先進的なカーボンモノコックを採用したマシンは、
天才と言われたデザイナージョン・バーナードが設計し、
84年投入以降改良を加え、この年まで使用された。
84年にマクラーレンへ移籍したプロストは、75、77年の王者ニキ・ラウダ
チームメイトとして戦った。デビュー当初から非凡な速さを見せていたプロスト
この年予選ではチームメイトのラウダを、16戦15勝と速さで圧倒した。
しかし、勝てないレースでも確実にポイントを拾っていくラウダに及ばず、
わずか0.5ポイント差で王座を逃してしまう。
終戦に優勝しながら王座に届かなかったプロストに対し、ラウダはポディウム
「心配しなくていい、来年はキミがチャンピオンを獲るんだから」と言った。
その翌年プロストはシーズン5勝をあげ、ラウダの言葉通り王者となる。
そして86年、プロストはこのMP4/2Cで王座に輝き、選手権連覇を達成するのだ。
ウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケナイジェル・マンセルとの王座争いとなったこの年は、
選手権をリードしていたマンセルを、プロストが最終戦で逆転し王者となった。

この86年シーズンプロストは第3、4、12戦で優勝を飾るものの、
シーズン自体はウィリアムズ・ホンダが強さを見せ、
終戦オーストラリアを迎えた時点で首位マンセルの70ポイントに対し、
プロストは64ポイントでランキング2位。プロストが逆転王座を決めるには、
プロストが優勝し、マンセルが4位以下」という極めて不利な状態で迎えていた。
しかもレース中にベネトンゲルハルト・ベルガー接触したプロストは、
32周目に予定外のピットストップを強いられてししまう。
苦しい展開のプロストだったが、このピットインの際のタイヤの摩耗状態が勝敗のカギとなった。
プロストのタイヤの摩耗がグッドイヤーの予想を下回っていたため
グッドイヤーのエンジニアが他チームに「タイヤ交換の必要なし」という判断を伝え
これが結果的にプロストを王座へと導くこととなる。
63周目にそれまでトップを快走していたチームメイト、ケケ・ロズベルグのタイヤが
バーストしリタイヤ。さらに64周目にはケケにかわってトップに立ったマンセルの
タイヤもバーストしてリタイヤ。これに動揺したウィリアムズ陣営は、
65周目にトップに立ったネルソン・ピケにタイヤ交換を指示し、
これによりプロストが首位に立つ。
そして、そのままトップチェッカーを受けたプロストが、6ポイント差を逆転し、
前年に続き選手権を連覇したのだ。自身2度目の世界王者は、
59、60年と王座に輝いたジャック・ブラバム以来の選手権連覇の偉業だった。

当時の関係者のだれもが口にするのが、
タイヤを傷めないプロストのドライビングスタイル。
このエピソードは、プロストの真骨頂である「タイヤに優しいドライビング」が
顕著に表れたエピソードだった。
また、予選での速さよりも決勝を戦えるセッティングを見つけることを優先し、
どんな位置からでも勝利に結びつくよう戦略を立て、
勝てないレースでは確実にポイントを拾って帰るスタイルも、
この頃からプロストの真骨頂となっていた。
これは、85年までコンビを組んでいたラウダから学んだレース哲学だった。
それまでのプロストは、自身も語るようにむしろセナのように
予選から全力で速さを追い求めるスタイルだったが、
ラウダの薫陶により、強かに選手権を戦うスタイルへと変貌を遂げていたのだ。

こうしてプロストは、
4度の世界王者として、伝説を築いていくのである。
プロストといえば日本ではとかくセナとの確執、接触での王座決定の
シーンが取り上げられ、ダーティなイメージで語られがちだが、
この86年は、アラン・プロストの真の実力が存分に発揮されたシーズンだった。

マクラーレン MP4/2C
 デザイナー:スティーブ・ニコルズ
 エンジン:TAGポルシェ TTE PO1 1.5L V6ターボ(ドイツ)
 タイヤ:グッドイヤーアメリカ)
 燃料:シェル(オランダ)
 ミッション:マクラーレン/ヒューランド製5速マニュアル
 ドライバー 1:アラン・プロスト(フランス)
       2:ケケ・ロズベルグフィンランド

f:id:pontsuka0729:20200831224111j:plain

f:id:pontsuka0729:20200831224116j:plain

f:id:pontsuka0729:20200831224142j:plain

f:id:pontsuka0729:20200831224146j:plain

f:id:pontsuka0729:20200831224205j:plain

f:id:pontsuka0729:20200831224208j:plain



f:id:pontsuka0729:20200831224210j:plain

f:id:pontsuka0729:20200831224214j:plain