☆★☆ぽんつかのF1名(迷)車列伝☆★☆

☆ぽんつかのF1(をはじめとする)ミニカーコレクションの紹介☆

ぽんつかの『F1名(迷)車列伝』・13

◆1997 アロウズヤマハ A18

1997年シーズンのF1は、開幕前から異例の事態が発生していた。
前年の王者デイモン・ヒルが、チャンピオンチーム・ウィリアムズから
放出されたのだ。実際のところデイモンが97年の契約を結ばない旨を
チームから通達されたのは96年のイタリアGP後であるのだが、
結果的に96年王者となった後も、チームの方針は変わらなかった。
97年をもってF1活動を終了するパートナーのルノーに代わり、
ウィリアムズはBMWとのエンジン契約を進めており、
BMWは契約の条件としてドイツ人ドライバーの起用を求めていた。
このため、将来性のあるジャック・ヴィルヌーヴ(カナダ人)は残留させ、
ドイツ人のハインツ・ハラルド・フレンツェンを迎え入れた。
その結果、前年の王者であるヒルがはじき出されてしまったのである。

往年のF1王者グラハム・ヒルの息子であるデイモンだが
1984年までは二輪で走っており、四輪に転向したのが23歳と遅咲きだった。
そのためF1デビューが31歳だった彼は王座獲得時点で36歳。
今後の伸びしろもないと判断されたか、結果ヒルは下位チーム
であるアロウズ都落ちすることとなる。

1978年に5名のエンジニア有志で設立されたアロウズだが、
GPでは長年中堅以下に甘んじていた。しかしこの年、『辣腕』として知られた
トム・ウォーキンショウがアロウズを買収し、上位進出を目論んでいた。
しかし実際に97年シーズンが開幕してみると、戦闘力は上位には到底及ばず。
相方のブラジル人ペドロ・ディニスとともに下位でのレースを余儀なくされ、
デイモンは前年王者とは思えないシーズンをすごすこととなる。
それでも、シーズン後半には戦闘力を高めてくる。
第11戦ハンガリーGP、予選3番手からスタートしたデイモンは、
残り2周というところでギヤボックストラブルに見舞われるまでトップを快走。
あわやアロウズ初優勝か?? というところまで迫る。
搭載されたヤマハエンジンにとっても、勝てばF1初勝利だった。
レースは最終周にウィリアムズのヴィルヌーヴにかわされるも、
デイモンはギアが3速にスタックした状態で残り1周半を走り切り、
堂々の2位表彰台登壇。1年前にチームメイトとして、そして王者を争った
ライバルとして戦ったジャックとデイモンは、
パルクフェルメで熱い抱擁を交わしたのだった。

結局この年の見せ場はそれだけだったが、
この2位表彰台はデイモンを過小評価する連中を黙らせるのには十分だった。
明らかに戦闘力の劣るマシンで予選3番手につけ、ブリジストンタイヤの性能を
うまく生かしての快走。王座に輝きながら尚デイモンの実力を疑問視する者たちに、
目に物見せる圧巻のレースぶりを展開したのだった。
トップドライバーとしては決定的に闘争心が欠けているとか、シューマッハ
オーバーテイクできないとかさんざん言われたデイモンだが
このレースではシューマッハの駆るフェラーリを、1コーナーでズバッと
鮮やかに追抜くシーンも見せた。デイモンを応援し続けた私も溜飲を下げた。

またパートナーのディニスも、苦しみながら第15戦には5位入賞。
ポイントゲットを果たす。ブラジル有数の実業家を父に持つ彼は、
父親の手厚いサポートのもと各カテゴリを戦い、実力が伴わないのに
豊富な持ち込み資金でシートを得る『ペイドライバー』と言われ続けた。
F1に『ペイドライバー』という言葉を根付かせた代表格と言ってもいい。
(それ以前にも似たようなドライバーはたくさんいたが)しかし、真摯に
レースに取り組む姿勢で戦いながら成長した彼は、アロウズでも結果を出した。
また、ディニスはいかなる状況でもクレバーに対処し、マシンの状況を的確に
エンジニアに伝えるデイモンの姿に、「明らかにそれまでのチームメイトとは
違っていた。デイモンから学んだことは多かった。」と後に語っている。

フランク・ダーニーの設計によるマシンは信頼性が致命的なまでに欠如しており
ウォーキンショウとの意見の相違からダーニーは序盤でチームを去る。
その後は『天才』ジョン・バーナードが加入し、バーナードが改修を加えた
マシンは次第に、信頼性と戦闘力を向上させていった。
しかし、デイモンは結局この年限りでアロウズを離れジョーダンへ移籍。
翌98年に雨のベルギーで自身キャリア最後の勝利を挙げ、
ジョーダンにF1初優勝をもたらすのだ。

決して速いクルマではなかったが、非常にカッコイイクルマ。
タバコ広告が全面禁止になる直前の、F1スポンサー企業の傾向が変わり始める
過渡期のクルマ。メインスポンサーの『DANKA』はフロリダのOA機器商社だった。
そして、ただ一度アロウズがカーナンバー1をつけたクルマ。
私の好きなドライバーベスト5に入るD.ヒルのクルマ。
戦績云々は別にして、個人的に非常に大好きで印象深いクルマである。

ちなみに前回FW18の項でも触れたが、ウィリアムズ時代のデイモンは
「マシンのおかげで王者になれた」という評価を下されていた。
しかし、4度の世界王者アラン・プロスト、ウィリアムズのTD、
パトリック・ヘッドなどはデイモンのマシンの開発、仕上げ、タイヤの使い方など
様々な能力の高さを認めており、第2期ルノーF1の開発責任者である
ベルナール・デュドは「最もプロストに近い走りをする」と称賛した。
また、当時ウィリアムズに在籍した天才デザイナーエイドリアン・ニューウェイは、
デイモンの解雇に激怒しウィリアムズを離脱した。
デイモンの実力を語るには、これ程分かりやすいエピソードもないだろう。
ドライバーの起用についてはブレない方針を持ち、冷徹な決断を下すことで
知られるフランク・ウィリアムズも「あれは大きな失敗だったな」と認めている。
ウィリアムズは、デイモンとニューウェイの離脱をきっかけに衰退し、
ついに2020年9月、創業者一族の手を離れることとなった。

 ◇アロウズ A18
 デザイナー:フランク・ダーニー(基礎設計)
       ジョン・バーナード(改善・改良)
 エンジン:ヤマハ OX11A/C、OX11A/D 3.0L V10(日本)
 タイヤ:ブリジストン(日本)
 燃料:ペトロサイエンス(マレーシア)
 ミッション:アロウズ/X-trac社製6速セミオートマ
 ドライバー 1:デイモン・ヒル(イギリス)
       2:ペドロ・ディニス(ブラジル)
  (フルネーム:ペドロ・パウロ・ファリロス・ドス・サントス・ディニス)

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